思考というフィルター

先日の記事「感情の話」の中で、本当の自分を生きる(自分のモノサシで生きる)とは、自分の感情に素直に従って生きるという話を書きました。

ただ、これがやってみると難しいなあと感じるのですが、その理由は物心をついた頃からの親を主とした学校などのコミュニティからの「常識」という刷り込みがとても強いため、自分がそのコミュニティで生きていくために、瞬時に本当の自分の感情と異なる(世間的にOKな)答えを出しているためだと思います。

私はどちらかと言うと、周りよりも幼い感覚を持った子供でしたので、小学校4年生という幾分周りよりも遅い年齢まで、自分を素直に出せていたように思います。それまでは、「考える」ということすら意識せずに、感じたらすぐに行動するような子供でした。だから、思考という余計なフィルターによって感情を変換されずに、表現できていたのだと思います。

ところが、小学校5年生の時にそういう行動を学校で色々と注意されてから、「感じたことをそのまま行動に出したらいけないんだ」、「考えてから行動しなければいけないんだ」というような感覚が芽生えました。正に「思考というフィルター」を受け入れた瞬間です。

一般的にはもっと早い(小さい)時にそれに気付くのであまり記憶にないのかもしれないのですが、私はわりと大きくなってから気付いたため、その頃の経験がトラウマのように残っています。多分、注意されたことが恥ずかしかったために、その印象が強いのかもしれません。

だから、初めに感情で「これをやりたい」と思っても、瞬時に「思考フィルター」が働いて「こうした方が良いのではないか?」と問いかけ、「やっぱりそうだよな~」とその思考の方に納得してしまう自分が出てきます。これが本当に瞬間的に行われるため、この思考フィルターで処理された後の答えが自分の感情なのではないかと勘違いしてしまう事が起きます。これが私が最初に書いた、やってみると難しいということです。

ちょっと今回は抽象的な内容なので分かり辛いかもしれませんが、具体的にご自身の経験に落としてみると分かり易くなると思います。例えば「カフェに行って美味しいコーヒーを飲みたいという感情が出てきたときに、寒くてめんどくさいから家でインスタントコーヒーを飲もうという思考が勝つ」というような状況です。

で、そのような行動はある意味クセになっていて、条件反射的にやってしまいます。ところがそれを無意識にやっていてはいつまでたっても本当の自分を生きていることにはなりません。感情に従っていないですから・・・。

そこで、「本当の自分を生きる」ためには、この最初の一瞬出てくる自分の感情をキャッチしてあげられるように、ちょっとだけ意識しておくと良いと思います。そしてその後に否定的な思考が出てきても、自分の本当の気持ちは最初に出てきた感情だと気付くように意識していれば、段々と古いクセが取れて、自分の気持ちに素直に従って生きられるようになると思います。是非お試し下さい。

ありがとうございました。


佐藤 栄一(さとう えいいち)

ブログ:佐藤栄一オフィシャルブログ「本当の自分を生きる」

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ほのぼの農園ナチュラルハート 代表
日本野菜ソムリエ協会認定 ジュニア野菜ソムリエ

 

 

感情の話

ここ数日はずっと家に居て、農園のWEBサイトを大改造中です。今年から少しずつ新しいことも始めるつもりです。もう少ししたら皆さんにもお披露目できると思いますので、どうぞお楽しみに!

さて、一昨日のブログ「自分のモノサシを使う」の中で、本当の自分を生きる(=自分のモノサシを使って生きる)ことの鍵は「感情」ということを書きましたので、今日はその感情について少し書いてみたいと思います。

結論から先に言えば、「自分のモノサシ=自分の感情」ということで、自分が好きとか、嬉しいとか、楽しそう、ワクワクする、とかそんな「感情」に素直に従って生きてみようよということです。ここまではとても単純明快な話です。

で、それを実際にやってみようとすると、意外に難しいのですが、その理由が幾つかあることに気づきました。

その話を書くと長くなりそうなので、今日はその1つの「不安」とか「恐れ」というネガティブな感情について書いてみたいと思います。

「不安」とか「恐れ」というネガティブな感情

例えば、気の乗らない飲み会に誘われた場合、

多分最初に一瞬「参加したくないなあ」という感情が出ると思います。これがあなたの本当の感情ですよね。

だけど人間の脳の処理能力って凄いので、その感情が出たすぐ次の瞬間に、「断ったら相手を嫌な気にさせるのではないか」とか「皆に何を言われるかわからない」とか、勝手に自分の中で色んな妄想をして、「不安」や「恐れ」の感情を感じます。(この時点ではまだ相手に答えていないほんの一瞬の間です)

そして次の瞬間に、その自分の中の「不安」や「恐れ」の感情を打ち消すために、自分の本当の感情である「参加したくない」という気持ちに蓋をして、気持ちとは逆にOKしてしまうことってありますよね。私はお酒に弱いので、そういう事は多かったですね。

それで今日、私がお話したいポイントは、上のようなケースで断るのが難しいとかそういうことではなくて、自分の本当の感情に蓋をするという行為を繰り返していると、どうもその「本当の感情」自体にいつしか気付かなくなるということです。

男性の場合は特に、「不安」や「恐れ」という感情を表に出すのを嫌う傾向が強いですし、それを感じる自分すら認めたくないという気持ちからか、その感情を感じてしまう原因となる「本当の感情」を無かったことにしてしまいます。あくまで私の経験上の話ですが・・・。

そうなってしまう(=本当の感情が出てこなくなる)と、このブログのテーマである「本当の自分を生きる」というのは無理です。偽りの感情(偽りの自分)に従って生きてしまう恐れがありますので。

そういう理由から「本当の自分を生きる」ことの鍵は、ギュウギュウに蓋をされてしまって無かったことにされていた感情に気付いて、それと向き合うということから始める必要があります。この感情と向き合ってそれを発見すると、一気に蓋の奥に詰まっていた「不安」や「恐れ」の感情が飛び出してきます。それって結構辛いし苦しいです。でもその感情に正面から向き合って(無視しないで)認めると、徐々に今まで頑張ってきた力が抜けて楽になるような感じが味わえます。

こうして1つ1つ、感情の蓋を外していくと、本当の自分の感情に従った「本当の自分を生きる」ことが出来るようになりますよ。

この「無かったことにされていた感情」は脳が見ないようにしているので、見つけるのは少しやっかいですが、ゆっくりご自分の心と向き合ってみると何か見えてくるかもしれません。以前、コンプレックスに感じていたことなど(私の場合はお酒に弱いとか)に注目していくと、見えてくる場合があるようですよ。

今日も最後までお読み頂きありがとうございました。


佐藤 栄一(さとう えいいち)

ブログ:佐藤栄一オフィシャルブログ「本当の自分を生きる」

ほのぼの農園ナチュラルハート 代表
日本野菜ソムリエ協会認定 ジュニア野菜ソムリエ

 

 

 

 

他人には他人のモノサシがある

ブログのタイトルをちょっと変えました。気づきましたか?

昨日の記事「自分のモノサシを使う」で、自分のモノサシを1本だけ持って生きるという話を書きましたが、それを本当に実行して生きていくために忘れてはならないのが、「他人(ヒト)は他人(ヒト)のモノサシで生きている」ということを100%受け入れることだと思います。

つまり、他人の言動を自分のモノサシで測って、良いとか悪いとかジャッジしたり、制限したりするのは、この「自分のモノサシを使って生きる」という生き方に矛盾します。自分は良いけど、他人はダメってことですから・・・。

田舎で農業をして暮らしていると、時々「○○の反対運動をいっしょにやろう~」というような声がかかることがあります。例えば山を切り開いて何かを建設するとか、多くは自然を破壊して、近代的な何かを作るとか、そんなケースです。

確かにそれを私のモノサシで測ればNGです。だから私個人がそのようなことをしようとは決して思いませんし、それが正義だと思っています。

ただ、だからといって他人がそれをすることを否定するような「反対運動」にも参加しようとは思いません。他人には他人のモノサシを使ってやっていることですし、その人はそれを正義だと思ってやっているかもしれません。

同様に、反対運動している人達も、彼らのモノサシでやっていることなので、これも否定も肯定もしません。ただ、私は参加しないという事実があるだけです。

更に言えば、今、私が信じてやっていること、例えば「農薬を使わずに野菜を育てる」という行為にしても、違う立場の人のモノサシで測れば虫を蔓延らせる迷惑なことと反対されるかもしれません。だけど私は反対されても断固として「自分のモノサシを使って生きる」という生き方を通すつもりです。

話が一巡しましたが、だから私は「他人(ヒト)は他人(ヒト)のモノサシで生きている」ということを受け入れていますし、少なくともそう意識して生活しています。それでも時々ジャッジしてしまう自分も居ますが、意識しているとすぐに気が付いて修正できるので良しとしています^^

取り留め無い話になりましたが、読んで下さった方の何かの気づきになれば幸いです。

ありがとうございました。


佐藤 栄一(さとう えいいち)

ブログ:本当の自分を生きる

ほのぼの農園ナチュラルハート 代表
日本野菜ソムリエ協会認定 ジュニア野菜ソムリエ

自分のモノサシを使う

夕べは久しぶりに15cmほどの積雪がありました。それでも日中暖かかったので、随分溶けてくれました。因みに農家は大まかに寸法を測る時には自分の身体を使って測ります。グーを縦にすると10cmだとか、親指と人差し指をぐっと広げると15cmだとか。昨日の積雪もそうやって測りました^^

ところで、このブログのテーマの「本当の自分を生きる」についてですが、簡単に言えば「自分のモノサシで生きる」ということです。

人って成長するに連れて、「ああするべき」とか、「こうでなきゃならない」とか、「そうすべきでない」とか、いつの間にか「他人の目」とか「世間の常識」とかに囚われて生きるようになりますよね。ある意味、それが成長することみたいに考えて。沢山の「他人のモノサシ」を持ってて、それを使って、自分の行動を予め測って、「これをやっても大丈夫だろうか」とか、「こう言っても良いだろうか」みたいに・・・。

それで随分、自分が本当にやりたい事や、言いたい事を我慢している人も多いのではないでしょうか?

私もそうでしたし、今でもそういう事が多々あるので、その気持ちは良くわかります。

で、ある時その「他人のモノサシ」を思い切って全部捨てて、「自分のモノサシ」1本だけ持って生きて行ったら楽しいんじゃないかな~って思ったんです。

それは自分の心が「好きか/嫌いか」、「やりたいか/やりたくないか」等に素直に従って生きて行くということですよね。

それって人にもよると思いますが、私にはなかなか難しいです。ついつい捨てたつもりの「他人のモノサシ」がどこかから出てきて測っている自分が居ます^^

なのですが、毎日意識して続けていると段々と出来るようになってきます。それに連れて気持ちが楽になってくるのが分かります。

その秘訣は自分の「感情なのですが、その話はまた別の記事で書きます。

ありがとうございました!


佐藤 栄一(さとう えいいち)

ブログ:本当の自分を生きる

ほのぼの農園ナチュラルハート 代表
日本野菜ソムリエ協会認定 ジュニア野菜ソムリエ

自分をもっとさらけ出す

今年初のブログ更新です。今年もよろしくお願いします^^

昨年までは、野菜の出荷が12月中旬に終わると、年末から翌年の3月頃までスキーレンタルのアルバイトをしていました。

この土地は冬が寒くて畑が凍るので、野菜の出荷は12月中旬から5月初旬までお休みしています。その間は月に1回だけ漬物、ジャム、干し芋などの加工品をセットにした「冬季野菜BOX」をお届けするだけなので、あとはアルバイトと、春の畑の準備が私の仕事でした。

そして有り難いことに、今年もスキーレンタルの仕事のお声がかかりました。そして一瞬ぐらつきました。やっぱり農産物の販売がほぼ無くなる冬の間の収入源ですので、とても有り難いことなので。

だけど・・・、今年はぐっと踏みとどまって、遠慮させてもらいました。

なぜかというと、それが本当に自分のやりたい事ではないと気付いたからです。

仕事自体はそれほど苦ではないのです。農家なので朝が早いのも得意ですし、身体を使う仕事も慣れているので。しかも平日はお客さんも少なくてとても楽なんです。だけど、その暇な時間にどうしようもなく農作業がしたくてウズウズしている自分が居ることに昨年気が付いたんです。天気が良い日は余計に。

「ああっ・・・、この時間がもったいない~。農作業がしたい~」と思っている自分に。

やっぱり私は農業が大好きなようです^^

それで、今年は自分のその気持ちを大切にして、お断りさせてもらいました。今年も同じ事をしたら、自分はずっとこのままになってしまいそうで、次の本当の自分のステップアップのために勇気をもって決めました。

お陰で今年は、畑の片付けも心地良いペースで進めることが出来、年末年始はのんびり、ゆったりと過ごすことができました。

冬至の日は大好きな金櫻神社に行ったりもして英気を養いました。

時間もたっぷり有ったので、好きな本を読んだり、他人のブログを読んだりして、多くの気付きももらいました。

そして「今年はもっと自分をさらけ出して、奔放に生きるぞ~」と今強く思っています。

今年の初心表明でした^^。ありがとうございます。


佐藤 栄一(さとう えいいち)

ブログ:本当の自分を生きる

ほのぼの農園ナチュラルハート 代表
日本野菜ソムリエ協会認定 ジュニア野菜ソムリエ

「真の自分で在り続ける」とは

%e3%82%b4%e3%83%bc%e3%83%abs真の自分で在り続ける」とは、本当に自分がやりたい事を選択して生きるということですが、その時に「本当に自分がやりたい事」の視点が自分のゴール(目的)に据えられているかどうかに注意が必要です。

ゴールに向かうための過程の部分でその都度「これは本当に自分がやりたい事か?」とジャッジすると往々にしてその判断を誤ってしまう可能性があります。

私の農業を例に挙げるならば、私のゴールは「消費者の方に喜んでもらえる本当に美味しい野菜を作る」ということになりますが、そこに到達する過程においては、

    • 機械を使わずに鍬で畑を耕す。
    • 通水性を確保するために溝を掘る
    • 炎天下の中で雑草の成長を管理する

といったきつい作業も当然あります。

それらの全ての作業がとても楽しい = 自分がやりたい事

の式が成り立っていれば全く問題はないのですが、自分のゴール(目的)に到達するための全過程が全て楽しいということはなかなか無いことで、そこで1つでも自分にとって辛いこと(=やりたく無い事)があった時に、この過程部分にフォーカスしてしまっていると、「これは本当に自分がやりたい事ではないのではないか?」と考えてしまい、「真の自分で在り続ける」生き方を貫くためには、これは止めるべきという判断をしてしまう危険があります。現に私はこれを勘違いしていました。

だけど良く考えてみて下さい。本当に自分がやりたい事はその過程部分を経験することではなく、自分が想定するゴール(目的)の状態になっている自分を経験することではないでしょうか?

私の例で言えば、「消費者の方に喜んでもらえる本当に美味しい野菜を作る」ことが出来る農家になっていて、実際に美味しいと喜んでもらっている自分を経験することが私の本当にやりたい事です。(勿論それによりビジネスも順調でとても豊かな状態になっています)

つまり、そのゴールの状態が自分の本当にやりたい事であるなら、そこに到達するまでの過程の段階においては、辛いことややりたくない事があったとしても、それは単にゴールへ到達するための障壁とみなして乗り越えていく覚悟と行動が必要であり、それが「真の自分で在り続ける」という生き方であると考えます。

山頂へ辿り着くための登山ルートが幾つかあるように、自分の目的(ゴール)に辿り着くためのルートも多くの場合1つではありません。険しいけれど近道のルートもあれば、平坦だけれども遠回りのルートもあると思います。どんなルートを選んでも構いませんし、時にはトラブルにも遭遇するかもしれません。それでも自分のゴールに着くことをあきらめずに前に進んで行けば(1つ1つの過程をこなして行けば)いつかゴールに辿り着きます。そのことを忘れずに、今目の前に見えている壁を乗り越えるための行動を起こしましょう。

米作りを止めるという決断(その3)

自分の心に正直になる

さて、この時点で

  • 自分の感情の存在に気付いてそれを認められた。
  • 今まで隠れていた自分の本当の気持ちに気付くことが出来た。

%e5%a4%aa%e9%99%bd2という状態になったわけですが、あと1つ大切なことが残っています。

それは自分の本当の気持ちに従った選択をするというとても重要な決断です。

自分の本当の気持ちに気付いたとはいえ、「不安」や「恐怖」というネガティブな感情がなくなったわけではないので、やはり自分の本当の気持ちに従った選択をするのはとても怖いことです。

私のケースに話を戻せば、「米作りを止める」という決断をすることで

  • 周り(世間)から一人前の農家として認められないのではないか。
  • 農業は一般常識として不安定な職業と言われているのに、主食の米が無くなれば何かあった時に困るのではないか。

というような「不安」や「恐怖」の感情と正面から向き合うことになります。

その上で、もう一度落ち着いて「本当の自分を生きる」という信念に沿って考えてみると、

    • 自分が一人前の農家かどうかを決めるのは自分自身であって世間ではない。そもそも自分は食べてもらって美味しいと感じてもらえる野菜を作る事が目的であり、私個人に対する周りの評価はそれと関係がないこと。
    • 農業が不安定な職業というのは一般常識かもしれないが、そんな世間の常識に囚われて自分の行動が制限されたり決定されるのは勿体無いのではないか。

という気付きが得られました。つまりこの時点でこれまで無意識に抱えていた「不安」や「恐怖」の感情の元となっていた概念が消滅し、新たにポジティブな思考に置き換えられました。

そしてこのポジティブな思考のお陰で、私は勇気をもって「今年いっぱいで米作りを止める」という決断を下すことができたのです。

その決断は、世間の目や常識に囚われずに、本来の目的に従って自分の本当の気持ちを選ぶ事ができたと思います。

このように、「本当の自分を生きる」という生き方は、ある意味では怖くてとても勇気が必要な生き方かもしれません。ただ、それを勇気をもって決断した時に自分の内側から沸いてくる充実感や満足感はとても素晴らしいものです。そしてそのポジティブな感情は、きっとこれからの私の生活のあらゆる面で素晴らしい影響を与えてくれるものと確信しています。どうぞ皆様も自分の本当の気持ちを大切にして、勇気を持ってそれを選択して下さい。きっと人生がもっともっと素晴らしく輝くことと思います。

米作りを止めるという決断(その2)

自分の感情に気付く

p1130137s米作りに関する研修などは全く経験して来なかった私ですが、興味はあったので米作りを自分で始める前年の2012年に近所で有機栽培で米作りをしている方の田んぼを1年間勉強を兼ねて手伝わせてもらいました。

そして翌2013年より、見よう見まねで始めた米作りでしたが、これがどうにも自分にしっくり来ないのです。

私の農園は全農産物を「自然栽培」で生産していますので、米作りも「自然栽培」の考え方に沿って始めました。つまり肥料も農薬も除草剤も販売している育苗土(苗を育てる肥料入りの土)さえも使いませんので、1月の土の仕込み(育苗土の自作)から始まって11月の脱穀まで10ヶ月以上の田んぼ仕事が続きます。よく「米」という字を分解すると八十八になって、「お米は農家の手間が八十八もかかっているので大切に食べましょう」などと言われる事がありますが、とにかくやる事が沢山あります。またその作業が野菜作りの忙しい時期と重なるなどの理由もある事はあるのですが、そんな物理的な問題よりも、私の感情として田んぼの中に入ることや、米作りに関する作業がどれも肌に合わず楽しくなかったのです。これは米作りをとても楽しんでおられる農家さんも知り合いに沢山いるので、あくまで個人的な嗜好の問題なのですが、足場の悪い田んぼの中を歩いたり、重い米を運んだりする作業の1つ1つが私にはどれも馴染めませんでした。ただその中で1つだけ良いなと思った点は、米作りの1つの作業が終わった後の充実感と達成感は、野菜作りで得られるそれより大きい気がします。

自分の感情を認める

米作りを始めて3年目になる2015年頃から、米作りは楽しくないし自分には向いてないのではという気持ちが頭を過ぎるのですが、米作りを始めたきっかけになった「不安」や「恐怖」をベースにしたネガティブな感情のエネルギーがとても強力なため、「米作りは続けなければならない」という信念ともなってしまった大きな心の壁が邪魔をして、その裏に在る「米作りを止めたい」という自分の本当の気持ちがなかなか表に現れてきません。

この壁を破るコツは、自分の感情を認めること意外にありません。私の場合も、自分の内側と向き合って、米作りを止めるという決断(その1)に書いたような自分の感情に気付き、そしてその「不安」や「恐怖」のという感情の存在を認めることが出来ました。するとそれまで無意識に頑張って抑えていた心の蓋の必要がなくなり、すっと心が軽くなります。それと同時に自分で築いた心の壁が消えて、その裏に在った自分の本当の気持ちが見えてきました。「そうかあ、自分は米作りを止めたいんだなあ」というとても単純な気付きです。分かってしまえばこのように「なぁんだ」というような簡単な事ですが、心の壁があるとそんな簡単な事が実際はなかなか見えないものなのですね。

この時に気をつけたいのは、自分のネガティブな感情を認めたくないために、せっかく表に出てきそうになった「不安」や「恐怖」の感情を無視(見ないように)すると、更に強力な心の蓋を作ってしまうことになるので、壁は更に分厚くなり自分の本心がより影を潜めてしまいます。ぐれぐれもご注意ください。

米作りを止めるという決断(その3)に続く。

米作りを止めるという決断(その1)

%e3%81%8a%e7%b1%b3私は2013年から4年間、田んぼで米作りを行いましたが、2016年いっぱいでそれを止めることに決めました。今回はその結論に至った経緯を、自分の感情などを交えてお話しようと思います。

何故、米作りを始めたか

私が経営するほのぼの農園ナチュラルハートは元々野菜を作って、それを「お任せ野菜BOX」に詰めて、契約している個人や法人へ定期的にお届けするビジネスを中心に展開しています。

それなのに何故、米作りを始めたかというと・・・

世間の目と常識?

1つ目の理由は、就農当初にある農家さんから「日本人の主食はお米なんだから、農家を名乗る以上、稲作はやっておくべきだよ」と言われて、私も「なるほど、そんなモノかもな」と思ったことです。

当時は深く意識していませんでしたが、今思えばお米を作っていなければ農家として一人前と認められないのではないかという「不安」や「恐れ」の感情があったのだと思います。

もう1つの理由は、「主食のお米さえあれば何があってもとりあえず安心」という考えがありました。この安心という考え方の裏には、それが無ければ何かの時に「不安」という「恐れ」の感情がやはり同居していることに気づきます。

そしてその感情を生み出している原因を、じっくりと心の中を探ってみるとそこには、

    • 「自然相手の農業は不安定だ」
    • 「農業は儲からない」

という世間で常識と思われている概念があり、その概念に自分が囚われていたために、そこから生まれる「不安」や「恐れ」の感情を払拭するためのお米作りを始めたと考えられます。

2013年当時の私は、このように自分の感情を客観的に捉えて、自分が本当に心から米作りをやりたいのかを考えてから行動するということが出来なかったため、こうした「不安」や「恐怖」のネガティブな感情をエネルギー源として米作りを始めてしまったと思います。

読者の皆様の中にも、このように世間の目や常識から来る「不安」や「恐怖」というネガティブな感情をエネルギー源として行動した経験は有りませんか?そしてその行動は、本当に自分がやりたいことだったでしょうか?

米作りを止めるという決断(その2)へ続く。