「真の自分で在り続ける」とは

%e3%82%b4%e3%83%bc%e3%83%abs真の自分で在り続ける」とは、本当に自分がやりたい事を選択して生きるということですが、その時に「本当に自分がやりたい事」の視点が自分のゴール(目的)に据えられているかどうかに注意が必要です。

ゴールに向かうための過程の部分でその都度「これは本当に自分がやりたい事か?」とジャッジすると往々にしてその判断を誤ってしまう可能性があります。

私の農業を例に挙げるならば、私のゴールは「消費者の方に喜んでもらえる本当に美味しい野菜を作る」ということになりますが、そこに到達する過程においては、

    • 機械を使わずに鍬で畑を耕す。
    • 通水性を確保するために溝を掘る
    • 炎天下の中で雑草の成長を管理する

といったきつい作業も当然あります。

それらの全ての作業がとても楽しい = 自分がやりたい事

の式が成り立っていれば全く問題はないのですが、自分のゴール(目的)に到達するための全過程が全て楽しいということはなかなか無いことで、そこで1つでも自分にとって辛いこと(=やりたく無い事)があった時に、この過程部分にフォーカスしてしまっていると、「これは本当に自分がやりたい事ではないのではないか?」と考えてしまい、「真の自分で在り続ける」生き方を貫くためには、これは止めるべきという判断をしてしまう危険があります。現に私はこれを勘違いしていました。

だけど良く考えてみて下さい。本当に自分がやりたい事はその過程部分を経験することではなく、自分が想定するゴール(目的)の状態になっている自分を経験することではないでしょうか?

私の例で言えば、「消費者の方に喜んでもらえる本当に美味しい野菜を作る」ことが出来る農家になっていて、実際に美味しいと喜んでもらっている自分を経験することが私の本当にやりたい事です。(勿論それによりビジネスも順調でとても豊かな状態になっています)

つまり、そのゴールの状態が自分の本当にやりたい事であるなら、そこに到達するまでの過程の段階においては、辛いことややりたくない事があったとしても、それは単にゴールへ到達するための障壁とみなして乗り越えていく覚悟と行動が必要であり、それが「真の自分で在り続ける」という生き方であると考えます。

山頂へ辿り着くための登山ルートが幾つかあるように、自分の目的(ゴール)に辿り着くためのルートも多くの場合1つではありません。険しいけれど近道のルートもあれば、平坦だけれども遠回りのルートもあると思います。どんなルートを選んでも構いませんし、時にはトラブルにも遭遇するかもしれません。それでも自分のゴールに着くことをあきらめずに前に進んで行けば(1つ1つの過程をこなして行けば)いつかゴールに辿り着きます。そのことを忘れずに、今目の前に見えている壁を乗り越えるための行動を起こしましょう。

米作りを止めるという決断(その3)

自分の心に正直になる

さて、この時点で

  • 自分の感情の存在に気付いてそれを認められた。
  • 今まで隠れていた自分の本当の気持ちに気付くことが出来た。

%e5%a4%aa%e9%99%bd2という状態になったわけですが、あと1つ大切なことが残っています。

それは自分の本当の気持ちに従った選択をするというとても重要な決断です。

自分の本当の気持ちに気付いたとはいえ、「不安」や「恐怖」というネガティブな感情がなくなったわけではないので、やはり自分の本当の気持ちに従った選択をするのはとても怖いことです。

私のケースに話を戻せば、「米作りを止める」という決断をすることで

  • 周り(世間)から一人前の農家として認められないのではないか。
  • 農業は一般常識として不安定な職業と言われているのに、主食の米が無くなれば何かあった時に困るのではないか。

というような「不安」や「恐怖」の感情と正面から向き合うことになります。

その上で、もう一度落ち着いて「本当の自分を生きる」という信念に沿って考えてみると、

    • 自分が一人前の農家かどうかを決めるのは自分自身であって世間ではない。そもそも自分は食べてもらって美味しいと感じてもらえる野菜を作る事が目的であり、私個人に対する周りの評価はそれと関係がないこと。
    • 農業が不安定な職業というのは一般常識かもしれないが、そんな世間の常識に囚われて自分の行動が制限されたり決定されるのは勿体無いのではないか。

という気付きが得られました。つまりこの時点でこれまで無意識に抱えていた「不安」や「恐怖」の感情の元となっていた概念が消滅し、新たにポジティブな思考に置き換えられました。

そしてこのポジティブな思考のお陰で、私は勇気をもって「今年いっぱいで米作りを止める」という決断を下すことができたのです。

その決断は、世間の目や常識に囚われずに、本来の目的に従って自分の本当の気持ちを選ぶ事ができたと思います。

このように、「本当の自分を生きる」という生き方は、ある意味では怖くてとても勇気が必要な生き方かもしれません。ただ、それを勇気をもって決断した時に自分の内側から沸いてくる充実感や満足感はとても素晴らしいものです。そしてそのポジティブな感情は、きっとこれからの私の生活のあらゆる面で素晴らしい影響を与えてくれるものと確信しています。どうぞ皆様も自分の本当の気持ちを大切にして、勇気を持ってそれを選択して下さい。きっと人生がもっともっと素晴らしく輝くことと思います。

米作りを止めるという決断(その2)

自分の感情に気付く

p1130137s米作りに関する研修などは全く経験して来なかった私ですが、興味はあったので米作りを自分で始める前年の2012年に近所で有機栽培で米作りをしている方の田んぼを1年間勉強を兼ねて手伝わせてもらいました。

そして翌2013年より、見よう見まねで始めた米作りでしたが、これがどうにも自分にしっくり来ないのです。

私の農園は全農産物を「自然栽培」で生産していますので、米作りも「自然栽培」の考え方に沿って始めました。つまり肥料も農薬も除草剤も販売している育苗土(苗を育てる肥料入りの土)さえも使いませんので、1月の土の仕込み(育苗土の自作)から始まって11月の脱穀まで10ヶ月以上の田んぼ仕事が続きます。よく「米」という字を分解すると八十八になって、「お米は農家の手間が八十八もかかっているので大切に食べましょう」などと言われる事がありますが、とにかくやる事が沢山あります。またその作業が野菜作りの忙しい時期と重なるなどの理由もある事はあるのですが、そんな物理的な問題よりも、私の感情として田んぼの中に入ることや、米作りに関する作業がどれも肌に合わず楽しくなかったのです。これは米作りをとても楽しんでおられる農家さんも知り合いに沢山いるので、あくまで個人的な嗜好の問題なのですが、足場の悪い田んぼの中を歩いたり、重い米を運んだりする作業の1つ1つが私にはどれも馴染めませんでした。ただその中で1つだけ良いなと思った点は、米作りの1つの作業が終わった後の充実感と達成感は、野菜作りで得られるそれより大きい気がします。

自分の感情を認める

米作りを始めて3年目になる2015年頃から、米作りは楽しくないし自分には向いてないのではという気持ちが頭を過ぎるのですが、米作りを始めたきっかけになった「不安」や「恐怖」をベースにしたネガティブな感情のエネルギーがとても強力なため、「米作りは続けなければならない」という信念ともなってしまった大きな心の壁が邪魔をして、その裏に在る「米作りを止めたい」という自分の本当の気持ちがなかなか表に現れてきません。

この壁を破るコツは、自分の感情を認めること意外にありません。私の場合も、自分の内側と向き合って、米作りを止めるという決断(その1)に書いたような自分の感情に気付き、そしてその「不安」や「恐怖」のという感情の存在を認めることが出来ました。するとそれまで無意識に頑張って抑えていた心の蓋の必要がなくなり、すっと心が軽くなります。それと同時に自分で築いた心の壁が消えて、その裏に在った自分の本当の気持ちが見えてきました。「そうかあ、自分は米作りを止めたいんだなあ」というとても単純な気付きです。分かってしまえばこのように「なぁんだ」というような簡単な事ですが、心の壁があるとそんな簡単な事が実際はなかなか見えないものなのですね。

この時に気をつけたいのは、自分のネガティブな感情を認めたくないために、せっかく表に出てきそうになった「不安」や「恐怖」の感情を無視(見ないように)すると、更に強力な心の蓋を作ってしまうことになるので、壁は更に分厚くなり自分の本心がより影を潜めてしまいます。ぐれぐれもご注意ください。

米作りを止めるという決断(その3)に続く。

米作りを止めるという決断(その1)

%e3%81%8a%e7%b1%b3私は2013年から4年間、田んぼで米作りを行いましたが、2016年いっぱいでそれを止めることに決めました。今回はその結論に至った経緯を、自分の感情などを交えてお話しようと思います。

何故、米作りを始めたか

私が経営するほのぼの農園ナチュラルハートは元々野菜を作って、それを「お任せ野菜BOX」に詰めて、契約している個人や法人へ定期的にお届けするビジネスを中心に展開しています。

それなのに何故、米作りを始めたかというと・・・

世間の目と常識?

1つ目の理由は、就農当初にある農家さんから「日本人の主食はお米なんだから、農家を名乗る以上、稲作はやっておくべきだよ」と言われて、私も「なるほど、そんなモノかもな」と思ったことです。

当時は深く意識していませんでしたが、今思えばお米を作っていなければ農家として一人前と認められないのではないかという「不安」や「恐れ」の感情があったのだと思います。

もう1つの理由は、「主食のお米さえあれば何があってもとりあえず安心」という考えがありました。この安心という考え方の裏には、それが無ければ何かの時に「不安」という「恐れ」の感情がやはり同居していることに気づきます。

そしてその感情を生み出している原因を、じっくりと心の中を探ってみるとそこには、

    • 「自然相手の農業は不安定だ」
    • 「農業は儲からない」

という世間で常識と思われている概念があり、その概念に自分が囚われていたために、そこから生まれる「不安」や「恐れ」の感情を払拭するためのお米作りを始めたと考えられます。

2013年当時の私は、このように自分の感情を客観的に捉えて、自分が本当に心から米作りをやりたいのかを考えてから行動するということが出来なかったため、こうした「不安」や「恐怖」のネガティブな感情をエネルギー源として米作りを始めてしまったと思います。

読者の皆様の中にも、このように世間の目や常識から来る「不安」や「恐怖」というネガティブな感情をエネルギー源として行動した経験は有りませんか?そしてその行動は、本当に自分がやりたいことだったでしょうか?

米作りを止めるという決断(その2)へ続く。

「本当の自分を生きる」へようこそ

佐藤栄一のブログへご訪問頂き有難うございます!

簡単な自己紹介をサイドバー下部の「このブログについて」に書きましたので、よければそちらもお読み下さい。

このブログは、一人の農家が「真の自分で在り続ける」という生き方に取り組むることによって得られた気付きや閃き(自分の内側からの声)を改めて自分自身に向けたメッセージとして綴ったものであり、同時にこのブログの記事を読んでくださった方とその内容をシェアすることを目的としています。

真の自分で在り続ける」とは、自分の本心を選択し続けることであって、否応なく自分の本心と常に向き合うことになります。またその選択が世間の常識や他人の意見と一致しない場合、その選択をすることによる不安や恐れなどの感情と正面から向き合うことになります。その不安や恐れの感情に蓋をせずに認めた上で、勇気を持って自分の本心を選択した時、そこに素晴らしい気付きや閃きを伴う進歩があると考えています。

私は農家なので農業に関連する記事が多くなると思いますが、そこに書かれたエッセンスを皆様それぞれのフィールドに置き換えてイメージしてみてください。日々の農的生活の中から様々な体験を、肩肘張らずにありのままの自然体で書いてみたいと思いますので、皆様もどうぞ気楽にお読みください。